墓地を通る一筋の小路

 私が住む町には上淀廃寺跡がある。白鳳時代の仏教を受け入れ、百済の文物と交流した先祖を持つ香り豊かな土地柄である。町を二分する大川 (宇田川) 以東は戦国の昔から海沿いに住まいの集落が、以西の西原は砂丘が西に広がり、自然が作る造形の丘に、村に死者が出ると川を渡って埋葬した。大川は黄泉よみへ旅立つ死者との別離の場であったと思う。

 川岸から拝んだ黄泉の国は、今、川向墓地と呼ばれ、墓地に沿って旧国道が通り、家屋が囲んで情景は急変している。一段と高い丘陵の墓石群から移り変わる歴史を感じる。墓地の西端から北へ判場墓地が続いている。

 父親の葬式は土葬であった。判場墓地に野辺の送りを勤めて52年になる。墓地が近く、歩いて見て回るゆとりができてきた。どの家の墓地も整地されて明るくなった。先の戦争の戦死者の霊碑が目立つ墓地である。判場墓地から続く一段と高い川向墓地は、仏たちが創った最初の墓地で、栄枯の時代をしのばせる小さな墓石や新しい立派な墓石が肩を寄せ合うように乱立する幽冥を通って川向の大地蔵に辿り着く。墓地の中を通る一筋の小路は、人が住みついた西の集落へ歩いた最初の古道ではないだろうか。

 禅語の「遠観山里色」は、遠く離れて見よと教えている。歩いて来た墓地をつないで見える輪郭が、寺を頭に翼を広げた墓地が鳥の姿に、東の空へ飛び立つかりが意識の中に浮かんでくる。永い時空の中で作られた鳥の魂が、昔と変わらない仏の国を伝えてくれている。

 俗人には五欲に打ち勝て、と説教されても難題である。少しでも仏の境地にと墓地を歩いてふと思う。人にはそれぞれに心の故郷がある。手を合わせて気がやすまるとき、心の隙間を満たしてくれる故郷がある。

 by 松浪 孔 2016.11.24