家族そろって元日の朝、まず屠蘇を年少の孫娘から順に杯に注ぎ、年の始まりを祝うことができた。この昔から続く祝儀は、中国三国時代、薬草を調合して酒に浸して飲んだのが始まりといわれ、わが国には平安時代の初めに唐から伝わり、宮中の正月行事として邪気を屠り魂を蘇らせることから屠蘇と名付けられたという。この時代は疫病、飢饉などの恐怖を何かの祟りと信じていた時代で、年の初めに穏やかであってほしい祈りでもあったと思う。
屠蘇の屠は、殺すとか屠殺の意味で、正月早々腑に落ちない生臭さが気になっていた。榊莫山のエッセー集「莫山美学」に、「仙人の井戸水」の一節がある。唐に孫思邈という道術家がいた。道術は仙人の術である。年末がくると西域の薬草を手に入れて山中の井戸にほうりこみ、元日の朝、薬味にただよう井戸水を「さあさ飲め、一人飲んだら一家年中病なし、一家飲んだら一里病なし」と村人に飲ませた。仙人の住み処を「屠蘇庵」といい、殺されたってわしゃ生きかえるという庵名に、村人はいつしか仙人の薬水を屠蘇と呼ぶようになった。
井戸水に集う子供たちの唐の昔が心象の中に浮かんでくる。 正月も半ばになるのに屠蘇の残りを一人、今は夕食時に白磁の茶器で味わっている。黄色に染まったほんのり苦い屠蘇が普段酒を飲まない私の臓腑に流れて快い想いをくれるひとときである。白磁の茶器は、三河内焼の献上唐子絵を伝承する15代平戸松山窯主の作品で、無心に蝶と戯れる唐子の図柄には品格がある。蝶の一羽が茶器の内側に描かれて、屠蘇を注ぐと黄色の酒気に蝶が舞い唐子が蝶を追っかけている。
昔から変わらない正月の屠蘇が、仙人の井戸水や唐子の茶器との思いを生み、瑞々しい命を子供たちに感じる正月であった。
by 松浪 孔 2017.7.3