日本海新聞創刊130周年記念作文・論文に応募し、佳作を受賞した論文です。
日本海新聞相関百三十周年記念 作文・論文コンテスト佳作受賞論文
「自然と遊び学ぶ」 幼児を育てる川づくり
こんな郷土にしたい。 治水工事で緑が消えた大川を葦の茂った昔の自然に戻したい。幼児に大川の自然が教えてくれる思いやりの共感性を育てる大切さを感じるからである。
私は昭和三年、丹後の市場村で生まれた。山が近くて家の前の小川が私の遊び場であった。 川下から丹後チリメンの機織りの音がかすかに聞こえて今日も小川が私を待っていた。幼い日を育ててくれた小川の想い出だけが残っている。戦後、両親が生まれた淀江町 (米子市) に移り住んで先祖の故郷に幸せを感じている。 昭和八年、祖父の法事に母親と帰ったのが初めて見る淀江の町であった。町を二つに分ける (通称) 大川 (宇田川) が海からの潮の匂いの通り道で、海を見ようと走り出して帽子を川に落としてしまった。近くの小父さんが竹竿で拾ってくれた。 ゆっくりと流していく濁った凄さをはじめて見た大川であった。 川しか記憶にない幼かった日の頭脳を疑いたくなる。
人はなぜ水に惹かれるのか、生命の起源は海で生まれ陸地に上がってきた太古の記憶が、そうさせていると云う説がある。 天災戦災で集落が壊滅しても川は残り、住みついて文化を作ってきた。私の川への思いは、永年の会社務めを終えて眺める大川が、無表情に変わっていく葛藤の中から自然が教えてくれる幼児の共感教育には、川は大切な環境ではないかと考えるようになった。
淀江町は大川を挟んで東は淀江地区、西は西原地区、川上は水田の淀江平野が広がる。目を閉じて見えてくるもの、見開いて見る川の流れに時の移ろいを感じる。 淀江大橋を渡って西原に入ると旧道に沿って墓場が続く。 笠をかぶった大地蔵、 十王堂跡地が昔の浄土の祈りの場を偲ばせてくれる。 精明寺の前で目を閉じて見える大川は、遠い昔が見えてくる。 江戸時代初期、川向ふの西原地区は小高い砂丘が続く死者の埋葬地であった。大川は黄泉の国への渡しの川であった。今、川に沿って住宅が建ち西方浄土の落日を見ることは出来ない。鉄道橋下から川上に歩いて見える大川は、補修された護岸のコンクリブロックが広い田圃を真っすぐ宇田川橋附近まで伸びている。ゆるやかな蛇行する流れ、水草の茂みや土手の柳は消えてしまった。 直接、川を必要としない現在の生活環境が川の変化にも気づかない無関心の時代にした。
今、虐めや不登校などの教育問題が静かに増殖している。学校も教育委員会も対策に苦しみ駆け込み寺に弁護士会が対応の相談窓口を作りはじめた。私は恵まれた文化生活が幼児教育の自然に学ぶ大切さを忘れた偏見が原因の一つと思っている。 子供は本能的に欲望のためには喧嘩もするが人間としての思いやりの気持ち共感能力を持った動物でもある。 幼少時の共感能力は急速に成長するので、道徳性が身につく幼児の育て方の見直しが、自然と遊ぶ環境作りと思う。
治水の補修工事で大川の美しい蛇行が直線化し緑が無くなった流れを少しでも自然の豊かさに戻したい。鉄道橋下から上の宇田川橋までの所々に洲を作り葦を植生し土手に柳を植えて復元の一歩にしたい。天井川が合流する新宇田川橋附近の地形を活かした子供たちの遊び場の整備は現実的と思う。無表情な流れに植生の手を加えれば、川は自身の力で姿をかえ自然に戻ってくれる。
米子市河川環境課の資料によると、水質を表す BOD値は 0.5で一級河川の日野川より良く生物の生息増殖には安心出来る水質である。 下水道接続率 82%も水質改善に役立っている。全国には清流、渓流の景勝地が多いが、大川は山の泉から生まれたどこの町にもある普通の川である。行政の計画する川づくりは、洪水対策として鉄道橋下の川巾を広げる治水が優先し緑化の環境改善はその次で、思いと現実はきびしい。担当する県西部事務所の河川砂防課では緑化の大切さの理解は深いが、工事の度に川の緑が消えていくのが寂しい。こんな大川にしたい、小さな思いが関心であり川づくりの行政につながると思う。
かつて私が丹後の小さな小川で育った幼い日の郷愁が大川への期待に増幅されるのである。唐の詩人、杜甫は「春望」で国破れて山河ありと云った。 そして湖南省の川を放浪し続け、ひとり小舟の中で死んでしまう。杜甫の見た夢は母なる川の讃歌であったと思う。
川は怖いから家で遊ばせる。 学校では事故を恐れて川に近づくなと云う。 歪んだ教育環境の貧困が現代の暗い「いじめ」社会の一因ではないだろうか。 淀江の大川を自然の環境に戻しそこで幼児を思う存分遊ばせる。自然から学ぶ共感の道徳性は幼児の心に染みこみ大人になっても消えることのない次世代の明るさであってほしい。
どの町の名もない川も歴史があり、良い川づくりは川を知り関心を持つことと思う。
参考文献
淀江町誌 淀江町
河川と自然環境 理工図書(株)
水質資料 米子市河川環境課
以下は新聞に掲載された要約です。
「自然と遊び学ぶ」幼児を育てる川づくり
こんな郷土にしたい。
治水工事で緑が消えた大川(宇田川)を葦の茂った昔の自然に戻したい。
私は丹後の市場村で生まれた。山が近くて家の前の小川が私の遊び場であった。戦後、両親が生まれた淀江町 (米子市) に移り住んで、先祖の故郷に幸せを感じている。
淀江町は大川を挟んで東は淀江地区、西は西原地区、川上は水田の淀江平野が広がる。目を閉じて見えてくるもの、目を開いて見る川の流れに時の移ろいを感じる。
鉄道橋下から川上に歩いて見える大川は、補修された護岸のコンクリートブロックが広い田んぼを真っすぐ宇田川橋付近まで伸びている。 ゆるやかな蛇行の流れ、水草の茂みや土手の柳は消えてしまった。直接、川を必要としない現在の生活環境が、川の変化にも気づかない無関心の時代にした。
今、いじめや不登校などの教育問題が静かに増殖している。学校も教育委員会も対策に苦しみ、駆け込み寺に弁護士会が対応の相談窓口を作りはじめた。自然に学ぶ大切さを忘れた幼児教育が原因の一つと思っている。道徳性が身に付く幼児の育て方は自然と遊ぶ環境づくりと思う。
大川の鉄道橋下から上の宇田川橋までの所々に洲を作り葦を植生し、土手に柳を植えて復元の一歩にしたい。 天井川が合流する新宇田川橋付近の地形を生かした子供たちの遊び場の整備は現実的と思う。無表情な流れに植生の手を加えれば、川は自身の力で姿を変え自然に戻ってくれる。
行政が計画する川づくりは、洪水対策として鉄道橋下の川幅を広げる治水を優先し、緑化の環境改善はその次で、現実は厳しい。
川は怖いから家で遊ばせる。学校では事故を恐れて川に近づくなと言う。教育環境の貧困が現代の暗いいじめ社会の一因ではないだろうか。淀江の大川を自然の環境に戻し、そこで幼児を思う存分遊ばせる。自然から学ぶ共感の道徳性は幼児の心に染み込み、大人になっても消えることのない。
どの町の名もない川も歴史があり、良い川づくりは川を知り関心を持つことと思う。