霊宝閣の寺宝・青磁香炉

 大山寺参道の坂道を一息一息霊気を味わいながら、先行く人につられて脇にある霊宝閣をつい通り過ごしていた。

 10年も前、 ことぶき学園で学んだ資料を整理の際、「大山寺霊宝目録」が目にとまった。多くの寺宝の中に青磁香炉などの焼き物があることを知った。

 香炉の焼き物が気になって、6月中ごろから何回か霊宝閣を訪ねた。弱い明かりの陳列の中ほどに1点、香炉があった。ひっそりとして控えめな、たびたびの本堂火災に生き延びて仏事に仕えた香炉だろうか。じっとみつめれば何かを語ってくれそうな感じがする。

 大山寺が天台宗として成立したころ、承和14 (847) 年、円仁えんにんが唐から帰朝し、大山寺に幣帛使へいはくしを遣わす、と記録にある。当時の高僧は留学僧として唐に学んだが、円仁の入唐は請益僧しょうやくそうという短期滞在の資格であった。そのため、天台山参詣すら許されず帰国を強制された。

 山東省赤山で円仁と従者3人は、帰国の乗船間際に脱走し、不法残留した。それから9年間、唐にとどまり求法くほうの旅を続けている。そして帰国の時が来た。 赤山浦で新羅船に乗船するまでの数日間、土地の役人の好意もあって越州窯青磁などみやげを求め歩くことができた。

 円仁の幣帛使一行のうち、帰国した従者の1人が大山寺への伝教の役を果たしたと思う。引声の阿弥陀あみだ経や唐の青磁香炉や仏具が寺に納められた。今、じっと見つめる香炉がもしかしたら幣帛使持参の物ではないか謎を深めてくれる。研究者によって出生が解明され、晴れて由緒を霊宝閣で見せてくれる日が楽しみである。

 南光河原の夕照は幣帛使一行の旅を癒やした。遠い昔の情景が、一つの香炉に思いを増幅させ、去り難い気持ちにさせてくれるのである。

 by 松浪 孔 2010.1.31