家に大きな二つの平鉢がある。食卓に使うこともなく物置の片隅にあるのを前から知っていた。捨てられても仕方がない古くさい平鉢に中国の「落葉帰根」の余生への思いが重なって、親が残してくれた数少ない器にいとおしさを感じる。昔はどの家の土間にも、はんどう甕があって、続きの板間には土瓶や大きな鉢が風のように身近にあった。二つの平鉢は清貧な昔の暮らしがにおう器である。
昭和の初め、柳宗悦氏の提唱で民窯という言葉が使われ、庶民が日常使う焼きものを、鑑賞の茶器や美術品の焼きものと区別して民芸として見直し、家庭の日用雑器にも美的価値を見いだして家族の一員のように賞賛された。そんな時代の石見焼平鉢である。
無常の厳しい時代の暮らしを支えて役目を終えた平鉢は今、若い世代から見放された寂しさの中に耐えた強さが、手に取ると伝わってくる。端縁の立ち上がりは太く丸味をつけてくびらせ、底の見込みには七つの重ね焼きの目跡がある。高台の当たりは幅が広く、古い民芸の味がする。汁気の煮物を入れてもこぼれない形は、まさに必要のために生まれた雑器である。用が済んで片付けるとき、一寸ほどの寸法違いが具合よく、大小が重なってよく納まったと思う。それは後ろからそっと寄り添う夫婦のしぐさのように見えてこれは偶然か作意だろうか、私は二つの鉢を夫婦鉢と勝手に名づけてみた。
二つの鉢は色が違う。粘土の鼠色に青味と黄色の肌色違いは、登り窯の火炎の流れが作った神技で素朴な肌色は夫婦鉢によく似合う。
昭和の中ごろから住まい改善の新時代に、家も水甕や鉢も使われないものは消えていった。必要があって残された夫婦鉢には、愛惜が宿って粗末に扱えない重さを感じている。
by 松浪 孔 2012.2.17
