駆け巡る天災の今昔

 昭和2年、92年前に、京都府北丹後で死者3千人近い大地震があった。当時両親と姉3人が震源地の市場村で恐怖の一夜を体験しているが、震災を語ることはなかった。

 長い戦時の暗い時代を終えた戦後、疎開で帰った両親の生まれた町は、貧しい暮らしの中にも安らぎがあった。「この大黒さんが一家を守ってくれた」。今は亡き父親が、神棚の恵比須天と大黒天の黒ずんだ神様を丁寧に一年のほこりをふきながら、体験したたった一言の震災を傍らで聞いた記憶がある。

 夕暮れ時だった。激しい揺れに家財は倒れ死を予感した一時、気がつくと日頃信仰していた大黒天が、頭元で寄りそうように見守ってくれていた。昔日の両親が神とふれ合った心象の丹後の震災が見えてくる。

 冬晴の日、カートを頼りに大川の流れや海に出かける。穏やかな晩秋の川面には生活の匂いがする。流れに誘われて海に着くと、りんとして君臨するあおい海があった。精が宿る蒼い海の、遠くにかすむ島根の岬には、恵比須天の神話が波に乗ってやってくる。

 長い生存の歴史の中で天災を神の怒りと信じた時代があった。今、地球温暖化は猛暑や風水害の想定外の災害が生活を破壊する自然の怒りの時代となった。身近な無駄をなくし消費生活を見直す時がきた。苦難に生きる強い心、災害と復興の厳しさを受け継いで身についた豊かさが強い心を支えていると思う。

 ある作家は、老後の人生を90代は妄想せよと楽しい終焉しゅうえんを説いている。 神棚の恵比須大黒様に地球温暖化を防ぐにはと問うてみた。ごみはもともと地球上には存在しなかった。今の豊かな文化生活が大量の塵を作り出した。塵を出さない知恵を出せと妄想の蒼い海が叫んでいる。

 by 松浪 孔 2019.12.15