心に残る故郷はと問われたら、市場村四辻と迷いなく答える。市場村は私の生まれた町で、近くに丹後縮緬をカタカタ織る家があった。坂道をあがれば山も近くかけ巡るのが楽しかった。家の前の小川は私の遊び場で、小さなカニをつかまえては放して私を遊んでくれた。今も頭の片隅に残る心の故郷である。
家の向かいに広場がある農家があって、丹後大地震で片腕をなくしたおばあさんがいた。ある日、広場に近所の大人たちが集まって、その中の1人がマムシを捕まえてきて、生きたマムシの肝を農家の正雄さんに飲ませていた。マムシは有毒で頭の三角形の小さなヘビである。大人たちのする怖い情景をそばからじっと見上げていた。
1927(昭和2)年、兵役法が制定され20歳以上の男子は徴兵検査で兵役が義務づけられた。立派な兵士は平民から抜てきされた侍のような村の誇りを感じた時代だったと思う。 正雄さんも、村人が飲ませたマムシの肝で立派な兵士を送り出したい願いだったと思う。
私の少年期は銃後を支える耐乏の日々であった。1931(昭和6)年、大陸奉天で満州事変の戦争ののろしがあがり、そして日中戦争、日米開戦と狂ったように戦火は拡大した。家計は苦しかった。転居した舞鶴市では家計を助けるため新聞配達をした。朝5時には新聞を受け取り小走りに配達した。
ある日、近道をしようと田んぼの細い道を通った時、足が滑り転んで新聞を汚してしまった。母親は私の不注意を責めた。一番上の姉は「一生懸命やっているのに」と汚れた新聞を乾かしながらかばってくれた。今でも当時を思い出すと胸が熱くなる。
春は名のみの風の寒さや…。『早春賦』の合唱で通所介護の一日が始まる。 調べが私の幼少時代の遠い丹後の昔を懐かしくしのばせてくれる。
by 松浪 孔 2025.4.13