戦後ようやく生活も安定したころ、 古陶磁愛好家が収集した永仁(鎌倉期)銘の古瀬戸瓶子が重要文化財に認定されたが、地元研究者によって贋作と分かり、重文解除という前代未聞の事件が起こった。斯界の権威者が多数かかわっただけに美術界に大きな衝撃の渦をまいた。
私がこの事件を知ったのは八年ほど前だろうか、大阪の書店で「永仁の壺 偽作の顛末」の文庫本を買って事件を知り興味を持った。問題の壷は瓶子のことで、戦前、瀬戸の志段味村で出土したとされ、当時、考古学関係者で話題となった。
終戦直後、人々が食べることだけを考えていた時、美術実業の上流階層では、古美術愛好の流れが高まり古陶磁が高価で売買されていた。
ちょうどそのころ、米子市塩町在住の深田雄一郎氏が鎌倉時代の古陶器と信じて購入した瓶子が何と標記の「永仁の壷」であった。当時深田雄一郎氏は、日本陶磁協会米子支部長の肩書を持つ焼き物愛好家であった。思えば六十年も前のことである。
現在、塩町に住む知人から深田氏の夫人が今なおご健在であることを知り、早速二人で訪問し親しく話を聞くことができた。
夫所持の「永仁の壷」が輝かしい文化財から一転、偽物と認定され、栄光と転落を傍らで見ていた夫人は美術界裏側の怖さを肌で感じたことだろう。 家には事件にかかわって文部技官の座を失った小山冨士夫氏が、主人に出した自責のわびの手紙も大事に保管されている。
由緒ある備前焼の茶碗で抹茶をいただきながら聞く話は、昨日の出来事のように生々しかった。主人が収集した古陶器は今はほとんど手元に残っていないと語る夫人の横顔に、過ぎ去った思い出の数々が見えて、私には深く印象に残った。
by 松浪 孔 2008.4.24