日本海新聞の連載小説「親鸞」を朝早く起きて読むのが楽しみである。 十月末ごろ、ふとあの絵皿は親鸞ではないかと思い出した。
十六年前、北九州に在職していたとき、骨董屋で主人にすすめられて買った九谷焼の八寸径の色絵皿である。伊万里や九谷の派手な色絵金彩の焼き物は好みではないが、なぜか高貴な幼児の得度の絵図に物語が感じられて買ったような気がする。そして今日まで気にもせず忘れていた。
絵皿は親鸞が幼くして得度した童子僧と、幼少の親鸞を親代わりに育てた日野家の伯父たちが別の枠に描かれている。思った通り親鸞得度の絵皿であった。
絵の中に納得いかない僧侶がいる。童子僧をやさしく見守る人物である。絵皿窯元の五代目上出雅彦氏は、問題の人物について、大きな袋と腹の出た僧侶は布袋和尚のようだという。昔の画工は物語性の絵皿に意外な人物を描いて関心や興味をわかせてくれる。
布袋和尚は中国の唐末期の僧侶で、七福神の神様になったり、弥勒菩薩の化身ともいわれ身近な仏である。絵皿の得度した童子僧親鸞を、時代を超えて福の禅者として描かれた祝福の絵図と思う。 九谷焼年史によると初代の上出喜山は、色絵付けの名工といわれ、仏心が厚く、毎年のように京都の本願寺や善光寺に詣でる信者であった。初代の親鸞信仰が絵皿に見えるような気がする。
色絵皿を眺めていると幼少の親鸞に仏門への歩みを助けた小説の中の法螺房や犬丸そして慈円阿闍梨が布袋和尚に重なり合って見えてくる。小説「親鸞」の堂僧範宴が成長していく毎日に期待の思いをわかせてくれる色絵皿。何気なく買った色絵皿に巡り合うつながりの仏縁を感じるのである。
by 松浪 孔 2008.12.22
