中山道木曽路の妻籠宿

 街道といえば歩いて暮らした時代、先祖が汗を流してひらいた都への歴史の道である。そして宿場があって旅人や荷継ぎの馬や人足らの集いが旅の人情をつくった。私には今も心に残る街道がいくつかあり、心の故郷でもある。

 仏教文化を最初に明日香の都に伝えた百済の工人が歩いた竹内たけのうち街道や会津西街道の大内宿は寄せ棟造りのかやぶきの昔の宿場が整然と残されている。印象に残る私の旅の一つである。

 凝縮された昔を見たい衝動にかられて肌寒い3月末、木曽路の宿場を訪ねた。中山道は京都から木曽路を通って江戸日本橋までの重要な街道であった。江戸時代には三十余の大名が参勤交代で利用し、今も当時の面影を残す本陣や旧道が残っている。

 幕末には将軍徳川家茂に皇女和宮が降嫁され、街道は川止めのある東海道を嫌って中山道が選ばれた。木曽路の妻籠つまご宿ではお乗りの輿こしから降りて、お休みになっている。付き人、警護の藩士、荷を運ぶ助郷人足ら数万人に及ぶ大行列が終日、木曽谷にあふれたといわれている。

 木曽路11宿の西の最初の宿場が馬籠まごめ宿で次の妻籠宿で旅の宿を取った。妻籠宿は旅籠はたごの風情が豊かで、電柱を取り払い雨どいも木製に替えて復元整備し、2けんほどの道筋に旅籠の江戸時代の景観を見事に残している。

 朝早く目が覚めて宿を出てみた。家々の軒下のあんどんに淡い灯火が残る朝の町並みは静寂に包まれている。生駒屋の軒下に枯れた古木が軒を支えるように立っている。何となくなでていると、通りかかった土地の年寄りが「これはきりの木でまだ生きている。そろそろ芽が出てくる」と言って、過ぎ去った。

 どこからか早春の足音がかすかに聞こえてきそうな旅愁が漂う宿場に、昔に帰る思いがするのである。

 by 松浪 孔 2010.6.12