米子市淀江町の大川を渡って、旧道の西原墓地入り口に笠をかぶった大地蔵が見える。近づいて見上げると、高さ 3.5㍍ の町内随一の石仏である。昔からこの場所を「じょうど」と呼んで十王堂というお堂があった。後に阿弥陀像を祭るお堂が、戦後しばらくあったが焼失して今は何もない。
淀江町誌によると、大地蔵は明和6 (1767) 年建立とあるから、江戸時代の中ごろで地蔵信仰の波に合わせて、十王堂も善行の祈りの場として建てられたと思う。そして十王堂を土地の人は「じょうど」となまり伝えたといわれている。
十王堂は冥土の亡者に、生前に犯した罪を裁く10人の王がいて、その中に閻魔王もいて十王堂は今の裁判所のようなものであった。地蔵菩薩は、裁きを受けて苦しむ亡者に救済の優しい手をさしのべて冥土の旅を見送ったありがたい菩薩であった。
この時代は淀江村から西原の丘陵に移り住んで、枝村を形作ったときである。神仏への信仰も心の安らぎの祈りとして生活に溶け込み、地方には十王堂なども多く作られた時代であった。西原墓地の十王堂や大地蔵の建立は信心深い村人たちに、善いことをすれば地獄に落ちずにすむ仏の教えが広まった時代と思う。今はない十王堂の跡地に立てば、かつて川を渡って別れを終えた野辺の送りの今昔の落差の大きさに寂寞の思いがわいてくる。
大地蔵をよく見ると、右手の錫杖がない。骨董好きが借用しているのか、長い風雪で消えたのだろうか。見かねた檀家がホームセンターで買ってきたのか園芸支柱の細い棒が差し込んである。善意が今の世相のように見えて、それでも遠く彼方にほほ笑み続ける大地蔵の親しみとありがたさに手を合わせ、自然に頭が下がるのである。
by 松浪 孔 2010.8.22
