小雨や曇り空の続いた10月末、五箇山相倉を訪ねた。
飛騨高地の岐阜県から富山県に入る山深い秘境を這うように流れる川に沿って、谷間の五つの集落の中ほどにある相倉集落は今、白川郷とともに合掌造り集落として世界遺産に登録され観光地として賑わっている。
バスから降りて少し歩くと、目の前に初めて見る手を合わせた祈りの姿の茅葺き民家に、これが合掌造りか興味がわいた。素朴な合掌民家は江戸中期からの造りといわれ、集落の中ほどには茅葺き屋根が地面まで届く合掌造りが1棟残っている。合掌造りの原型といわれ、遠く縄文の風物に触れる思いがする。
藩政時代の五箇山は加賀藩の流刑地でもあった。村外への出入りが禁止された隔絶の地で養蚕や塩硝作りを生業とした村人の生きる知恵が豪雪に耐える合掌造りをつくり出した。
集落の奥まった所に2棟の合掌民家が民俗館として開放され、集落の歴史をみることができた。一階の囲炉裏の板間の奥の「出居」と呼ぶ部屋に仏壇と神棚があり、ここで家族が念仏をとなえ極楽往生を願う絆の集いがあった。
隣の国信州の山々の寒村では口減らしに老人を背負って檜山に捨てた姥捨て山の物語がある。同じような辺境に生きる集落に陰と陽の家族の絆の違いをふと感じる。厳しい自然と向き合い生きた知恵が、民俗館のあちこちに見えた。民俗館の若い女性が筑子唄を歌ってくれた。
五箇山には先住民がいて平家の落人が流れ住み、そして南北朝のころ、放下僧や吉野朝の武士が移り住んで争わず共存した歴史がある。そのころ生まれた筑子唄は何百年、長い閉ざされた集落で伝承された。「月みて歌ふ放下のコキリコ竹の夜声の澄みわたる」。 仲秋のころ歌って踊った暮らしの一面が見えて、集落の無垢な原風景を五箇山に見る思いがした。
by 松浪 孔 2010.11.30
