私が生まれた市場村四辻は今の京都府与謝野町で、小学校に入るまでのわずか年月を丹後の田舎町で過ごした。家の前には小さな川が流れていて丹後大震災で片腕を失くしたおばあさんがいた。息子が近く軍隊に入営の日を前に、近所の年寄りが蝮をつかまえてきて、元気で兵役を努めるようにと、生きた肝を飲ませているのを無心に見上げていた。物心がついたころ、はしかに罹り生死をさまよった。父親が近郷の猟師をたずね回って「狐の舌」を手に入れ、これを煎じた薬水で生き返ったと聞かされている。遊び相手は家の近くの自然だった。昭和初めの丹後の昔が今も頭の片隅に残っている。
現代は、子供は良く育つが、江戸から明治、大正と疾病で多くの幼児が命を亡くした。 人が死すれば冥土に赴くが、幼児は賽の河原に留まり、そこで幼児をいじめる地獄の鬼から救ってくれた地蔵菩薩は子供たちにはありがたい仏であった。亡き子への憐愍の情に肉親は石地蔵を立てて弔った。そんな地蔵が小川の土手や畑の木の下にゴロゴロしているのを見て育った。
8月も終わりの23日、地蔵盆がやってくる。子供たちは野原の地蔵を集めて川で洗い、絵の具で思いや願いをこめて彩色した。山から採ってきた檜葉で小屋を作り、 化粧した地蔵を祭った。続きに蚊帳を張った部屋で子供たちは供物のスイカや菓子を食べて、夏の夕べ、地蔵と子供の民俗信仰の祭りを楽しんだ。今も丹後の地蔵盆は心に刻みついている。
昨年の夏、思いが宿る地蔵盆の町をたずねた。昼下がりの町に昔遊んだ故郷はなかった。組立式の地蔵小屋がいくつかあって、子供たちが化粧した地蔵は昔のままで安堵した。小学生が一人、祭りの番をしていて、移ろう地蔵盆に幼い日の郷愁が湧いてくるのである。
by 松浪 孔 2011.8.6

