長野の善光寺参りの帰りに棄老伝説の姨捨駅に降りてみた。駅から見える早春の眺望は素晴らしかった。この駅から坂道を下りた長楽寺辺りまでが姨捨と呼ばれる地区で、さらに眼下に千曲市の街並みが小さく見えて、その中の青い筋の光が千曲川である。
眼下に見える長楽寺は、蛇行する農道で案外時間がかかった。観月の名刹として、寺の境内には俳人たちの句碑が数多く並んでいて、芭蕉も元禄元 (1688) 年には木曽路から猿ケ馬場峠で一服して姨捨山を見上げ、長楽寺では「おもかげや姨ひとりなく月の友」と秋風の名月を楽しんだ。「古今和歌集 (905年)」に、「わが心慰めかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」と詠まれ、平安時代の初めから信州の姥捨が京の都で知られていた。
長楽寺には姨石という巨岩がある。捨てられた老婆が悲しみのあまり身を投げた伝説がある。寺の住職が姨石に登れば姨捨山が見えるというので、這いながら登った。ここから眺める姨捨山は、棚田の山の端に碗をふせたような山肌に残雪がまばらに、冬を過ごした棚田の春の来るのを見守っているように見える。
「楢山節考」の老婆おりんは、生き仏のような姨で檜山参りは雪の降りそうな日を望んだ。別の説話には、月が耿耿と照る晩、姨を山に置いて帰ったが姨のことが気にかかり、夜が明けると山へ登って連れ戻した。伝説のこの地で棄老の風習は聞かれなかった。
近くの猿ヶ馬場峠は街道の難所で、野垂れ死んだ旅人の屍が多く見られたといわれていて、風葬の捨て墓を、集落の人は畏敬のあの山を、神仏が眠る姥捨山と言い伝えられたと思う。
長楽寺から眺める棚田は、やがて水を張った「田毎の月」の景観が頭に映り、棄老伝説の幻像が忘れ去って行くのを感じる。
by 松浪 孔 2012.4.24

