女人禁制、迷いの時代が生んだ掟である。空海が開いた密教の高野山は、明治に入るまで女人禁制の山だった。子供のころ、石童丸の伝説を聞いた記憶がある。 女人禁制のきびしい掟が親子を引き裂いた悲話であることを後日知った。高野山の1200年の秘話を宿した信仰の聖地に触れたい気持ちに応えてくれたように、6月、米子市老連の「高野山奥の院」の親睦旅行があり、思わず参加した。
樹林の深い谷を右に見ながら上りつめると突然、高野山総門の朱塗りの大門が一行を迎えてくれた。車と男女の参拝者で混み合い、商店がにぎわう山を感じさせない壇上伽藍の町を見た。奥の院参道の杉並木と墓石群が栄枯の昔を語っている。弘法大師御廟では、空海の「即身成仏」、人は生まれながらにして仏である。仏になれないのは悟りを妨げる煩悩が心の内で仏を隠している。そんなガイドの方の話が印象に残った。高野山は観光と信仰が両立する町で、それは天上に伸びる1本の自動車道が二つの高野山をつくったように思う。
中世の恐怖は疫病と飢饉が人々を苦しめた。怨霊の祟りと恐れ、鎮魂の呪術に頼る時代だった。恐怖の中から生まれた女性の不浄の罪深さが、女性の立ち入りを拒む女人結界を高野山につくった。鎌倉時代に入ると、親鸞や道元の改新的な高僧が現れ、悟りの仏教から救いの仏教に大きく流れを変えてきた。道元は「女人何の咎がある。男子何の徳がある」と語り、女人罪業観を批判し女人結界の破却を求めた。女人禁制の時代、女人の参詣を許したのが大和の室生寺である。人々は「女人高野」と呼んで門前は信者でにぎわった。
女人結界のシンボル高野山の大門と、たおやかな女人高野の五重塔に、今、時代に生きた人々の思いが湧いてくるのである。
by 松浪 孔 2012.9.23