正月も過ぎて寒い日が続く日に一服のお茶は、春にはどこに行こうか手に取って時を和ませてくれるのが彫三島茶碗である。
韓国ソウルの南大門市場に小さな陶磁器の店があった。雑踏の市場で、ここの主人と焼き物の話をするのが私には憩いのひとときであった。昭和50年、今から38年も前のことである。 主人がこれは申正熙の娘婿が持ってきたと言って掻落としと彫三島の二つの茶碗を見せてくれた。「朝鮮の田舎を思わせる茶碗だ。持って帰れ」と達者な日本語で話す茶碗に朝もやでかすんで見える田舎の風土を連想した。
やや内側に包み込んだ姿に2段の檜垣文と見込みの花模様は彫三島の名品の様式を備えている。井戸茶碗に見られる力強さはないが、どこか漂う寂しさは、よくソウル郊外で見かけた赤く枯れた道の民家の生活のにおいがこの茶碗の姿に見えかくれする。
伝世の高麗物の彫三島茶碗は、文禄慶長のころ、茶人の好みで日本から注文され朝鮮で焼かれた茶碗であった。同じころ、九州博多に一代で巨万の富を築いた豪商がいた。島井宗室である。宗室は堺の茶人津田宗叱に茶の湯を学び、茶道具の良しあしを見分ける優れた目利きとなった。朝鮮に渡り高麗茶碗を買いあさり、京や堺で売りさばいて巨利を得た。茶人が求めた高麗茶碗の名品は博多商人の海を渡った商売の陰の記録でもある。
申正熙は高麗茶碗の再現に成功した名士で、草庵の侘びが氏の作品への技に表現されていると思う。作品の彫三島は人生の移ろいに似ている。韓国の窯で生まれ、永年の賞翫で見込みにほんのり飴色に成長した。今は私を和ませてくれる茶碗である。違いは人の限られた寿命に対し、茶碗は限りなく生きて伝承の尊さを宿ってくれる茶碗であってほしい。
by 松浪 孔 2013.1.27