江戸時代、木曽路は中山道の難所で、11の宿場を作って大名の参勤交代や伊勢参りの旅人の安全を守ってくれた。今、伝統家屋を集落として残す宿場は数少なく一つを選ぶとすれば妻籠宿である。印象に残る一本の桐の木が今も生きている心象の宿場である。
3年前、この妻籠宿の下嵯峨屋で1泊した。朝早く目が覚めて宿場の道を歩いた。「いまや」の前で家に寄り添う古木が気になり、肌を触っていたら、通りかかった土地の年寄りが「それは桐の木でまだ生きている」と言って過ぎ去った。 肌寒い3月の夜明けの家々には外灯の明かりがまだ残った早春の風情が懐かしく頭に残っている。
島崎藤村は小説「夜明け前」で「木曽路はすべて山の中である」と書いている。最初の一節である。藤村は馬籠宿の名主、島崎家の四男で、幼いとき、母の妻籠宿本陣の実家へ山の峠道を歩いた情景が小説に見えてくる。旅人は道中記を懐に宿場から宿場へ一筋の山の中を歩いた。 足腰が頼りの危険な旅でもあった。 木曽路の宿場には人情というぬくもりの江戸時代がそっくり残っている妻籠宿が、私の旅情を誘う。
幸いに再度、妻籠宿を訪ねることができた。 11月半ばというのに観光客で街道はにぎわっていた。「いこまや」に寄り添う古木は高い軒を支え、軒下から道に張り出した幹に、青葉が傘のように茂っていた。「いこまや」に今は亡い娘が生まれたときに植えられて120年がたつという。枯木と思っていた木が、蘇生したように一本の桐の木に生命力を感じた。見えるものがすべてでない、感じるものにも人情が宿り、宿場には無視できない一本の桐の木を知った。私の心を引きつける肩を寄り添う伝統の家並みに、心象という見えない人情の繁りを一本の桐の木が感じさせるのである。
by 松浪 孔 2013.12.22
