人間の歴史は歩いて道を作ることで始まっている。日本最古の官道といわれる竹内街道は、飛鳥時代に大阪難波から明日香の京までの官道として、推古天皇が建設を命じたものだ。日本書紀の推古21 (613) 年の条に「自難波至京置大道」とある。大陸文化を伝えた最古の大道で、優れた文化を持った多くの渡来人が通った道である。苦難を越えてたどり着いた竹内峠には、渡来人の思いが凝縮されていると思う。一度行ってみたい峠の一つであった。
3月25日、孫と大阪在住の長男に助けられて竹内峠へ向かった。峠には駐車場がない。近くの退避所で降りて峠に立つことができた。長い歳月は大道を跡形もなく消してしまっていた。明治と昭和の改修で峠は10mも掘り下げられ、削られた山肌が古城の石垣のように見える。見上げるその石垣の空に険しい峠の昔が浮かんできた。北側に迫る二上山は今も神の山である。私も見た落日の光景は神秘で美しい。峠の変わりゆく姿を共にした二上山は改修で見られない。変貌した峠にもの寂しい思いが湧いてくる。
推古天皇は女帝であった。厩戸皇子 (聖徳太子) と蘇我馬子によって大陸文化を受け入れ、飛鳥文化が開花した。河内からこの峠を越えて仏教も漢字も焼き物も明日香に向かった。渡来人の絵師も土師も異郷の険しい峠で一休みし、かすかに見える明日香の宮の眺望に安堵し、疲れを癒やしたと思う。遠く見える山並みに、今も昔も変わらない心地よさに気づいた。峠を包む空と風が歴史の香りを残してくれている。
推古天皇の枢は飛鳥の宮から、この峠の私の前を静かに長く心象の中に通り過ぎる。峠は葬送の道でもあった。今、どこへ行くのか車が一瞬に峠を通り越えてゆく。
by 松浪 孔 2017.5.18