米子市淀江町の旧国道大橋から眺める精明寺は、山門を覆う空に向かって茂る大銀杏に、時代を超えた生きざまを感じる特別の場所である。何事もない静謐な町並みにも、大火で寒空に放り出された厳しい時代があった。元禄12年12月に全村が焦土となった記録がある。そし明治24年12月の大火である。語り継ぐ人もなく忘れ去られて久しい。
今は亡き尾沢友則さんの自叙伝「轍」に、淀江大火が書かれている。「明治24年12月の年の瀬も迫った2日の夜半のことであった。市次郎が異様な気配に目を覚ますと、障子の向こうは真昼間のように明るく夕焼けのように赤かった。『おとう火事だ』と祖父を起こすと流石に泥のように疲れて眠っていた祖父も跳ね起き 『牛だー』と叫んだ」。堀町の薪小屋から出た火は強い南風にあおられ、大川以東の淀江宿 663戸と近くの精明寺を一なめにした。
この大火に、火の粉を払い水を噴いて奇跡的に生き抜いたといわれる山門脇に茂る大銀杏は、淀江大火を語り継ぐ大事なお寺の顔である。精明寺は大正3年に再建された。そのお寺を訪ねてみた。二つの大銀杏は空で絡みあって大きな銀杏門をつくっている。山門前では、村の酔っぱらいににらみをきかせた「不許董酒入山門」の小さな禁碑が宿場の昔日を伝えている。
潮風にささやく大銀杏の疲れを知らない生命力に心動かされる。淀江大火に耐えた息遣いを今も身近に見せてくれる名木である。
by 松浪 孔 1917.9.17

