戦いに生き抜く知恵

 家の周りの小さな草木が、季節を忘れず萌黄もえぎの命を見せてくれる。一枝の緑が寄り添うように老化を呼びまして、忘れて消える片隅に耐乏の昔が離れず浮かんでくる。

 昭和19年9月、太平洋戦争の末期、当時旧制工業学校の生徒だった私たち同窓は、県内の生徒と臨時列車で米子の町をあとに呉の海軍工廠こうしょうに向かった。戦力の衰えを学徒動員で補い、学業より工場へ軍事優先の時代だった。この大戦で戦死された方は 212万1千人で、多くがかつての戦場で今も眠っている。

 生存の歴史は、戦争や疫病、凶作、天災など災厄との戦いでもあった。養和の飢饉ききん (平安末期) では洛中の死者が 4万2千人を超え、鴨川は死者であふれたといわれている。多くの先祖たちは、楽しみより暗い苦しみに耐えて、鎮魂や供養に心の安らぎを求めて時代を生きてきたように思う。

 先の大戦の悲運は、逆に豊かな復興への希望に変わった。戦前戦後の貧困に耐えて汗を流して働いた世代は終焉しゅうえんを迎え、忍耐と戦った昔を語ることも少ない。豊かさに慣れたら不満が出てきて煩わす当代、今、新型コロナウイルスとの目に見えない戦いが始まった。生活を変えてしまう厳しい戦いに、苦情を誇大する情報に惑わず、まず対策に協力し生き抜く強い意志が知恵を生み出し、生活の明暗につながるように思う。3密を避けて野山を歩く。自然との親しみで心の迷いを洗い流し、歩ける一歩のありがたさを感じさせてくれる。

 精明寺の大銀杏いちょう、寺の改修時に丸裸になり、山門を睥睨へいげいする仁王のような巨木は、一冬過ぎて今、枝脇に緑の新芽の息吹が見えて、生きていた。不死の生命力は、甘雨かんうで新芽がつながる心象の大銀杏が浮かんできて一服を和ませてくれる。

 by 松浪 孔 2020.6.30