老いて歩ける一歩の幸せ

 一休みの昼下がり、部屋の片隅から小さな絵皿が昔を語りかけてくる。30年も前、北九州小倉の町でふと目にとまったかめ割りの絵皿である。

 中国北宋時代の儒学者、司馬光が幼少の頃、仲間の一人が水甕に落ち、命の危険を感じた司馬光が石を投げて水甕を割り水を抜いて仲間を救い出したという。生命の尊さを問いかけている。普通の人にはできない奇抜な善行が、午後のひとときを目覚めさせてくれる。

 物心がついた頃、 出征する若者を町に流れる〝満州の赤い夕日に照らされて” の軍歌で見送り、忍び寄る戦時の足音を感じたように思う。1941 (昭和16) 年、太平洋戦争は小学校高等科1年の時始まった。銃後を守る一人として学徒動員で働いたが、報われることなく、この戦争で兵士市民三百数十万の生命と国土の一部を失った。戦中戦後の暗闇を定職のない両親が子供たちを育てあげ、時代を生き抜かせてくれた。

 人間には生きる知恵がある。苦境を生き抜いた先人がいた。源平の昔、壇の浦合戦で敗れた平家の一そうが日本海を漂流し、伊笹岬の沖で御崎 (香美町香住区) からのぼる一条の煙を頼りに御崎の崖をはい上り、そこで一行7人は高野聖の修験者に助けられて土着した。恐怖、睡魔、飢えに耐えての漂流。1人では生きられない命だが、数人の知恵の和が何倍もの生きる精神力を生み、今ののどかな御崎集落をつくりあげた。

 大きな流れに漂う小舟のような人生、気がつけば豊かな時代に生き永らえて、しみじみ回想する日々、今日もつれづれの午後がやってくる。午後の穏やかな日差しが、老いて歩ける一歩の幸せを見つめている。

 by 松浪 孔 2022.22.26