春は名のみの風の寒さやー。「早春賦」の合唱で通所介護の生活が始まる。長い人生の過去を背負い生き抜いた老春の集いは、遠い昔がよみがえる幸せなひとときである。
小学生の頃、校庭に奉安殿があって、天長節などの祝日には、校長先生が読み上げる教育勅語を頭を垂れて聞いた。教室では女性教師が弾くオルガンの文部省唱歌を聞きながら教わった。子供の叙情を育てる唱歌は、今も私の心に染みついて消えることはない。
小学校唱歌「故郷」の歌詞は、「大和言葉」で作られている。「如何にいます父母 恙無しや友がき」。奥ゆかしさを感じるこの歌詞は古く日本の風土の中で生まれ、千年以上の後の現代まで大切に使われてきた日本古来の言葉である。小学生の頃教わった唱歌は大和言葉が用いられ、昔の言葉の思いが心の豊かさを育ててくれたように思う。
「つれづれの法話」(境港市大祥寺発行) に、宗教学者山折哲雄氏と韓国の先生との対談が載っている。韓国の先生は、日本には幼い時から仏教が生活の中に根づいて、その一例が童謡「夕焼け小焼け」であるという。山のお寺の鐘がなりお手々つないで鳥と一緒に帰りましょう。子供言葉の裏に見えてくるものは祈りであろうか。諸行無常の鐘の響きに共生する動物も一日を終えてどこに休まるのだろうか。静かな夕日の仏教の薫りを感じるこの童謡を私も無心に歌っていた。
8年前、出石の宗鏡寺を訪ねた時、鐘楼の鐘を突かせていただいた。湧き出る見えない響きの波が、心のあかを流して消えていく。幼い頃歌った童謡の、眠っていた小さな仏性が鐘の音と溶け合う時だった。世はうつろい時代が変わろうとも、美しい日本の心を歌う唱歌は心の故郷でもある。
by 松浪 孔 2023.3.14