十年一昔が9回も重なると、人は老境に入り心身の衰えは自然の姿である。忘れが進む中、これだけは忘れるなと、持って生まれた性質が選びのこした数少ない思いが、三つ子の魂百までということだろうか。
1934(昭和9)年4月、5歳の時、母方の祖父が亡くなった。私と父は母親の生まれ育った淀江町堀の堀尾家にいた。農家のうす暗い部屋の奥の部屋に棺おけがあった。父親が私をいきなり抱きあげて、丸い棺おけのふたを開け、押し込むように近づけて「お前のおじいさんだ」と。初めて会う祖父は手を合わせ足を曲げて、行儀よく丸いおけの中に座っていた。しんみりした通夜の男たちは酒でも飲んでいたのだろう。そんな父のあどけない仏心が私に奇行の別れを残してくれたと思う。
夕闇の夜汽車で帰途についた。夜のとばりからもれる明かりの一つ一つが海に漂う霊のように、窓越しに通り過ぎて、祖父との別れを惜しむように闇に消えて、どうして丹後の家に帰ったのか記憶にない。
観音経のなかに「梵音海潮音」という言葉があり、読経の波うつ大きな声といわれている。10年ほど前、出石の宗鏡寺を訪ねた時、鐘楼の鐘を突かせていただいた。沢庵ゆかりの寺で、湧き出るような鐘の音は沢庵和尚の反骨の唸りか、これが海潮音というのか、私を洗い流して入佐山へ消えていく。
人には生来、仏性とか魂が体に宿って童謡「夕焼け小焼け」は子ども心に、祈りの薫りを感じさせてくれた。 郷愁の昔を偲ぶ暇なく時の流れは横文字に戸惑う時世に変わった。テレビの歌番組で、ちあきなおみが歌う「紅とんぼ」は、心にしみる演歌だと思う。出合いがつくる思い出に感謝する仏心の調べが、老人の1人暮らしを和ませてくれている。
by 松浪 孔 2025.8.28