1940 (昭和15) 年、私は尋常小学校6年生で、日中戦争のさなか紀元節の提灯行列や軍歌に送られ出征する青年を見てきた。当時の政府は、軍部に統制を失い戦争の深みに向かうとき、但馬出身の斉藤隆夫代議士が、衆議院本会議で「反軍演説」し戦争の無策な時局を批判した。 陸軍は侮辱する演説だと反発し斉藤代議士は、衆議院から除名された。義を通した2月2日の議事録は今も残っている。戦勝に湧く時勢の大きな流れに、道義の明かりを灯す時の人がいた。
学校から帰ると、近所の子どもを集めて、西舞鶴の築港近くの荒地が遊び場だった。雑草の中を腹這いになって敵地を偵察する斥候兵の野性味な遊びは楽しかった。戦争が子どもの遊びを変えてしまい、家でも節句を味わう暇さえできない、軍靴は響く40年だった。
5月は青と香りの季節と思う。古い中国では5月を俗悪月として忌み嫌い、菖蒲は厄払い魔除けに欠かせない薬草だった。書家・榊莫山「莫山美学」に、天平18 (747) 年聖武帝は「昔ハ五月ノ節、菖蒲ヲ用ヒテ鬘トナシタルニ、コノゴロコノ事停ム。今ヨリノチハ菖蒲ノ鬘ニアラザレバ、宮中二入ルコト勿レ」と、菖蒲にこだわる聖武帝の5月の節が、豊かな民俗文化を生み、今の子どもに思い出を刻む5月の節句であってほしい。
「月不見月」とも言われた古い5月は、邪気が宿る月として菖蒲のさわやかな香りは、家の軒下にそして菖蒲湯につかり邪気を払う習慣が伝えられてきた。
今、端午の節句が「こどもの日」と国の祝日になったが、野に子どもがいないと青い空は問いかける。私の戦前の昭和、雑草と遊び強い子どもをつくってくれた青い昔の空が今日も私の心を和ませてくれる。
by 松浪 孔 2026.5.28
